広告代理店での9年間はハードだったが、充実した日々でもあった。30代という若さもあって乗り切れた。そんなある日、S社の元上司・H氏から突然電話があった。
H氏は仲人も務めていただいた方で、私にとって絶対的かつ特別な存在である。当時H氏はS社の関連会社の社長に就任したばかりで、腹心となる人物を探していることが後で分かった。電話の趣旨は「とにかく明日、私のオフィスに来てくれ」というものだ。
訪問するや否や「俺の下で働け。米本社にあいさつに行くから予定しておけ。ポジションは営業部長だ」。断るどころかH氏の下で働ける喜びが勝ち、即決した。
映画の配給と関連ビデオを販売する会社で、後にヒット作となる『スパイダーマン』を世に出した米大手映画会社の日本法人であった。
私の役割は映画ビデオを業界卸会社へ販売するメーカーの営業責任者。まず着手したのが直販比率を大幅に高め、在庫管理を徹底したことだ。ビデオは毎月リリースされる。卸経由だと末端の在庫が把握できず、販売、返品の読みが甘くなる。
これは業界のおきて破りでもあった。H氏の後ろ盾もあり、売り上げも倍近く上がった。しかし、反対勢力も衰えず、綱引きが続いた。
突然、H氏が別の関連会社の社長に異動となり、後任が親会社から来た。対立したが、後ろ盾をなくした私は追い込まれた。イケイケだけではだめだ。調整力が欠けていると反省した。結局、辞表を出すことにした。短期間だったが密度の濃い、経験したことのない屈辱感と学びを得た。