俳諧の頃から身近な文化として親しまれている俳句。最近はバラエティー番組で知的エンタメとしてコーナーが常設されるなどブームとなっている。十七音という限られた字数の中に季節を写し取る表現方法は、日本人の感性に根差した文化だ。この盛り上がりを楽しみつつも気になることがある。俳句の根幹「季語」と体感する季節とにずれが生じているように感じる点だ。季語は季節ならではの自然や暮らしを表す言葉。季節の輪郭が曖昧になれば、言葉と現実の間にギャップが生まれてもおかしくない。
「日本は二季化している」とは最近の指摘だ。長引く酷暑の末、やっとやって来た秋は足早に去る。長い冬から待ちわびた春へと季節が移ろう中で、初夏のような陽気が顔を出す。今年2月、関東や山梨で夏日が観測され、四月早々にも記録的な暑さで夏日を記録した事は記憶に新しい。涼やかな秋、穏やかに続く春、こんな感覚は懐かしい思い出となってしまうのか。
環境変化の影響は文化にとどまらない。急激な寒暖差は体調管理を難しくし、農作物へも大きな影響を与える。極端な気候が「日常」となれば、社会のリスクは高まる。人としての営みを未来に残すためにも、温室効果ガス削減を柱とする気候変動対策を、暮らしと政策の両輪で進める事が必要だ。取り組むべきは、再生可能エネルギーの推進など政府・社会レベルの対策から、省エネやライフスタイルの見直しといった家庭・個人レベルの対策までとその幅は広い。一人一人の小さな積み重ねこそ自らを守る行為に他ならない。