高校卒業後、すぐに自動車学校に通い、1971年に晴れて運転免許を取得した。一級上の世代は16歳で軽自動車免許が取得でき、高校時代、大変うらやましく、一日も早く免許を取りたいと願っていた。父親が最初に購入してくれたのはボルボ123GT、通称「アマゾン」であった。頑丈な作りで安全だからという理由で選択したようだ。
大学3年時に第1次オイルショックが起こり、1㍑60円前後のガソリン価格が、あっという間に100円を超えた。併せて排ガス公害が世界的に問題となり、米国で厳しい環境規制の大気浄化法(マスキー法)が施行された。
この規制クリアが非常に難しく、各メーカーが四苦八苦する中、ホンダが「CVCC(複合渦流調速燃焼方式)」エンジンを開発して規制をクリアし、四輪車メーカーとして躍進する契機となった。CVCCエンジンを搭載した初代シビックは国内外で大ヒットとなった。
今、そのホンダが空前の経営危機に陥り、2040年までにEV(電気自動車)と燃料電池車(FCV)で脱エンジンに移行する戦略を撤回し、この関連損失が大きく膨らんだためだ。
二輪車のマン島レースで優勝し、スポーツカーと軽四輪トラックの開発を開始した翌年には、いち早くF1レースに参戦。メキシコグランプリで優勝し、世界を驚愕(きょうがく)させた。こうした本田宗一郎氏の進取の姿勢は二足歩行ロボット「アシモ」や小型ジェット機の開発に受け継がれてきた。往年の自動車ファンとしてホンダ復活を期待したい。