7月、67歳になった。
私はこの年齢に特別な意味を持っていた。父が66歳10カ月で亡くなったからだ。33年前に見送って以来、父の年齢を超える日を、一つの節目として意識してきた。いざその日を迎えてみれば、意識し続けた地点にたどり着いたのに達成感はなかった。長く目標にしてきた地点は、思いのほか普通の通過点だった。
私の記憶の中の父はいつも絵に向き合っていた。
小学校教員だった父は、20代半ばで結核を患い、長い療養生活を送った。その後、フリーの商業美術家として、自ら描きためた作品を抱えては出版社を回りながら仕事を開拓していた。晩年は水墨による仏画に取り組み、全国に点在する教室を巡っていた。
子どもの頃、時折夜半に目を覚ますとアトリエに灯りがともっていた。机に向かい黙々と筆を動かす父の背中があった。作品と向き合いながら家族を養う姿は、並大抵のことではなかったと思う。
社会人になった頃、仕事で忙殺されて帰宅できずにいた私は実家へ電話をしたことがあった。受話器の向こうの父は「無理なら転職すればよい。俺を見ろ。何でもできるし、食べていける」。筆一本で生きてきた人間だからこその言葉だった。
父の年齢を超えた今、あらためて思う。私は父の人生を追い越したのではない。同じ年齢まで歩いてきただけである。67歳の私が66歳の父に問いかける言葉は「あなたほどの覚悟や胆力を、自分は身につけられたのだろうか」。すると返ってくる言葉は父の口癖だった「何事も良い加減で」。秋彼岸、父母をしのぶ。