「神様(さま)、仏様、トラック協会様」。89歳で死去した石原慎太郎氏は、東京都知事時代に打ち出したディーゼル車規制に東京都トラック協会が協力し、「東京の空が奇麗になった」ことへの感謝を込めて、東ト協の懇親会あいさつの冒頭で必ずこう述べた。
東ト協会長から全日本トラック協会会長になった浅井時郎氏(浅井、故人)とは昵懇(じっこん)の仲で、同氏のことを石原氏はいつも「トラックの親分」と呼んでいた。
石原氏は、黒いすすの入ったペットボトルを振りかざし、ディーゼル車から排出されるPM(粒子状物質)をターゲットに、排出ガス規制に適合しないディーゼル車の通行を規制する条例を、国に先駆けて施行させた。
当時全ト協会長だった浅井氏は「トラック業界が環境問題に反対すれば、国民に見放される」と受け入れたが、DPF(ディーゼル排気微粒子除去装置)を装着しなければならなくなる事業者のコスト負担が大きく、苦渋の選択だった。
石原氏のPM対策はその後、国を動かし、NOX(窒素酸化物)・PM法となり、地方にも規制が及ぶことになる。その一方で浅井氏の周辺は一枚岩ではなかった。同様の規制が近畿や中部に広がると見るや、「浅井氏が賛成したから、われわれの地域でも規制が実施された」との批判が出てきて、浅井氏は一時期苦境に立たされたこともあった。
石原氏がもう一つ口にしたエピソードは、東ト協の会館でじかに聞いたあるトラック事業者の声である。「石原さん、あなたのおかげでわれわれはかなりの出費を余儀なくされて経営が苦しいんだ」。この声を踏まえ、都は規制適合車両への代替に対する補助制度を創設。そして「トラックの皆さんのおかげで東京の空が奇麗になった」と、感謝の言葉を忘れなかった。
浅井氏はその後、自民党東京都連の支持団体組織「各種団体協議会」の会長を務めることになる。国政、都政を問わず、自民と周辺の政治家には大いに頼りにされていた。石原氏が浅井氏の米寿を祝う会などの会合に必ず姿を見せたのも、二人の長い付き合いと信頼関係の証しだったのだろう。(北原秀紀)